不登校そのものは多様な育ち方の一つだと思っていますし、不登校そのものは問題ではないと思っています。問題ではないとすれば、解決すべきものもなくなることになります。私は何が気になって支援をしているのかということをもう一度考えてみました。
一つ目として出てきたのは、不登校の子どもたちに最適な育ちの場がないことだと思っています。不登校の子どもたちは状態が一様ではありません。もちろん個々に状況は異なりますが、大まかに言っていくつかの段階に分けられるかと思います。エネルギーがどん底までなくなったのち、少しずつエネルギーをためて動き出せるようにるというのが一般的な見方です。そのため、私は不登校の対応として「カウンセリング」「コーチング」「コンサルティング」の3つが必要だと説明してきました。
まず、最初の段階としては自分の気持ちを整理して現状を見つめるためのカウンセリングが有効だろうと思います。そして、その後その子どもの発達状況に応じて必要なリソースを使い、心の栄養素を上手に与えながら子どもの素質や能力に応じて育成していくコーチングが欲しいです。そして、子どもが自分で動くようになれば、やり方や今後について相談にのるようなコンサルティングという形に移行していくかと思います。
現在の不登校対応では、カウンセリングにはつなぐもののその後の道筋が明らかになっていません。フリースクール等で行っているのが後半のコーチング、コンサルティングにあたるところかと思いますが、子どもたちの興味関心をのばしたりのびのびと人とかかわることを目的にしていることが多いかと思います。
本来は、学校教職員というのは子どもの発達に寄り添うプロだと思っています。どの年齢でどういったことが身についていてほしいのか、その年齢における発達課題が何なのかを一番知っているはずです。ところが、不登校になって時間がたつと学校教職員とのかかわりがへってしまいます。そこには、学校教職員の不登校理解が進んでいないため、下手なかかわり方をされるぐらいなら接触を減らした方がよいという悲しい現状もあります。
前回の記事にも書いたように、不登校の文化圏と学校の文化圏の間には大きな大きな山があります。少しでも学校文化圏の中に不登校を理解する人が増えてくれば、多様な子どもの育ちを支えられる学校文化になるのではないかと思っています。
不登校の子どもたちに直接対応し育てる場所はどんどん増えています。けれど、学校教職員の理解が進まなければ根本的な解決には向かっていかないと感じています。大変な作業になるかと思いますが、支えてくれる周りの方々の力を得て、力尽きるまでできることを頑張ってみたいと思います。